きおくのへや

キモオタリアリティ

いつもの

子供の頃ハム太郎がすごく好きだったことを思い出したのですが、手元に残っている関連グッズが少なすぎて寂しい。

 最近身の周りで恋愛イベントがすごく多い。
上半身裸の男性のポスターを見るだけで真っ赤になって目を伏せていた友達は付き合い始めて一ヶ月で婚約し、彼氏が出会い系で知り合った女と浮気してたからぶん殴って別れを告げた! と言っていた友達は二日で復縁し、お互いオタク趣味に傾倒しているから恋愛は駄目だと言い合っていた友達はTwitterで出会った男の人と付き合い出した。
どれも想像もつかないものばかり。私自身には何のイベントも起こらない。ひたすらゲームと小説執筆をしていた。ゲームの中でも登場人物が結婚してた。



小学生の頃、自分の兄は障害を持っているということを友達に告げたら「一生お世話するから結婚できないじゃん」と言われたことがある。
子供の頃から祖母や親戚に「お兄ちゃんの面倒を見てあげるのよ」と言い聞かされていた。
この二つの言葉が私の中で融合して、「私は一生兄の面倒を見るので結婚はできない」と信じ込んでいた。なんなら結構最近まで、両親は自分らが死んだ後のことを考えて私を作ったのだろうと思っていた。
(はよ自立して出てけ、旦那見つけて子供つくれ、等言うので兄をどうこうという考えは今のところないらしい)


女でも定年まで働ける職業に就いて、とにかくたくさん貯金して、万一自分が先に死んだときに兄が孤独死しないよう準備をして……みたいなことばかり考えていたのですが、
でも最近、もしかしたらもう少し色んな道があるのかもしれないと思い始めた。
ものすごく心が広いB専男性が現れて、兄のことは気にならないし子供なんかいらないよと言ってくれて、何かの間違いでうまくいくかもしれない。
巨万の富を得て悩みは全部札束で叩き潰せるようになるかもしれない。
兄の最期を見届けるまで死ねないとかどうでもよくなって家を飛び出すかもしれない。
何もかも嫌になって死ぬかもしれない。とここまで来るとやぶれかぶれだけど、「一生兄の面倒を見るので結婚はできない」という前提で人生を考えていた頃よりは前向きに、自分ひとりのことについて、自分のしたいことについて今一度考えてみようと思いました。


目下の悩み事は友達と人生の話があまりできないことですね。
兄が障害者で……なんて話重いし、私の勝手なのですがずっと周りに隠してきたことなので、感情が入りすぎて一人で泣き出したりしそうで怖い。確実に気持ち悪がられる。
あと子供の頃から好きな人はいたけど付き合いたいのとはなんか別で、何度か付き合ったのですが全てうまくいかず向いてないなと諦めたので、恋愛指南とかしてくれる友達には申し訳ない。正直あんまり聞いてない。
ちなみに明日は婚約をした友達と久しぶりに会います。眩しい……


兄が「大学を卒業したら何をするのか」と質問してきたので働くんだよと返したら驚いていました。働くの!? 大丈夫!? みたいな。
鬱病での自宅療養歴とかもあってか、兄はたぶん詳しいことはわかっていなくても私が「平均より弱い人間」だと認識しているっぽいです。
私は勝手に兄の保護者ヅラをしていましたが、兄の方は私のことを庇護すべき妹だと思っているのだろうか。
そう思うと案外普通のきょうだいかもしれない。


鬱で家にこもっていた時期、動く気力があるときはひたすら本を読んでいました。中島義道とか加藤諦三とかいかにもなラインナップ。
そういう読書経験と自分の病歴から興味を持って、大学では心理学、哲学・倫理学、思想史、といった学部とはあまり関係ない講義を受講しまくっているのですが、"人生とは""人間とは"みたいな話を聞けば聞くほど、正しい生き方なんてないよなあと思う。
人の人生に正しいとかおかしいとか言えるほど偉い人間ってこの世にいないでしょ多分。