きおくのへや

Hide and lurk

簡単なことだった

男の友達と出かけた帰りにいきなり手をつながれたのですが、すごくガッカリして自分でも驚きました。
そういうのに夢見がちなほうだと思っていたので「少女漫画みたいなことされたらすぐ惚れちゃうかもしれない」と漠然と思っていたのに想像と違った。
普通に「えっ何?嫌だ……」と言ってしまった。ドキッとすらしなかった。
愚痴とか言い合いながら飯食うだけの友達だったしそんな空気微塵もなかったのに。
こちらの記事にも書きましたが、リスロマンティックなのかな私…という気持ちが強まった。



あと、追記できょうだい児。このカテゴリの記事は恐らくこれで最後になると思います。

 

 

先日兄に持病が一つ増えました。
癲癇という病気に無知であったため、目の前で兄が倒れ込んだときには何が起きたのかわからず、嫌な話ですが兄の死を覚悟しました。
たまたま兄の仕事が休みの日で、私も母も同じ部屋にいる時だったことは不幸中の幸いだったと思います。母が兄に着いていてくれたから、私も幾分冷静に電話を掛けることが出来ました。
とは言っても兄が死ぬ瞬間を見るのかもかもしれないと思うと怖くて、受話器を握りしめたまま身体中ガクガク震えながら部屋を徘徊していたので、だいぶ動揺していたとは思います。
母は泣き叫んでこそいましたが兄にぴったりと寄り添っていました。母は強しというのは本当ですね。

 

とてつもない小並感ですが、自分の身に降り掛かってみて改めて強く感じたことを書き留めておきます。
救急車がとても早くて驚きました。いつ必要になるかわからないものが、いつ呼んでも来てくれるというのは本当にありがたいことです。
あと救急隊員の方々にはもっとしっかりとお礼を言いたかった。
「お母さんがかなり動揺しているからついていてあげてね」と声を掛けていただいて、多分その時点では私自身も酷い有様だったと思うのですが、役目を与えられることで自分の精神状態も救われたと思っています。

 

朝起きたばかりの時間だったのでパーカーと膝が薄くなったジャージのまま、ごみ捨てに行くにももう少しマシな格好しろよという出で立ちで救急車に同乗し、その後病院から約一時間歩いて帰ったのですが、今の私凄くみすぼらしいだろうなと思いました。
誰にどんな事情があるかなんて見た目からは想像できないですね。布団から出てそのままのだらしない服装で夕方の街をうろつく女…

 

きょうだい児という境遇を不幸だと思って生きてきました。誰もこの苦労はわからんだろうと、ブログを書き始めたのは半ば八つ当たりのような動機です。
他人が抱えている不安や苦労、それぞれの事情をろくに想像しようともしない、何もわかっていない人間は私の方でした。
兄は自閉症というだけではなく、過去にも内臓の病気で入退院を繰り返し、完治までに五年近く闘病しています。
もしかしたら今後も別の病気に罹るかもしれない、兄と共に生きられる時間はそう長くはないのかもしれないと考えてしまいます。
以前兄が「生まれ変わってもまた俺がいい」と言った時に馬鹿みたいに泣きました。
兄が幸せになれるのならどんなことでもしたいです。家族が大好きだと心から思います。こんなことが無ければわからなかったのかと情けないです。
子供の頃から、私の将来はどうなるのかという漠然とした不安が頭からずっと離れませんでした。今もそれは変わりませんが、どうもこうもなく、最後まで兄の側にいたいと思います。それが出来れば悔いはないです。